本当に多様性社会と言えるの?発達障害を生んだのは現代社会

 

私は20歳の頃に、自分のことを発達障害ではないかと強く疑ったことがあります。

 

発達障害は医学的には脳機能障害の一種です。発達障害の人は他の人とコミュニケーションをとったり、暗黙のルールを守ったり、集中関心を保ったり、ミスや抜け漏れなく社会生活を送ったりすることに困難を感じる場合があります。 発達障害についてまとめると以下のようになります。 100人に数人の割合で生じる。(人口比で1~11%など様々な分析blank が有ります) 知的障害を伴わないことが多い。(ADHD、アスペルガー症候群、広汎性発達障害など) 先天的な特性である。このため根本的な治療はまだない。 しかし適切な支援で症状を緩和させることは出来る。大人の発達障害

 

 

20歳、あおのひと、大学入学

 

大学入学直後、様々な人間関係におけるトラブルに見舞われ、孤立してしまいました。

一言でいうと「人と関係性を継続することができない」と言えばいいでしょうか。

大学入学直後、2年間コミュニティに所属していなかった私は、とにかく友達が欲しく、多くの人々と接触しました。
見た目は「普通の人間」ですので、とくに問題なく一時的に関係性を築くことはできる。

数ヶ月であれば、「友達」として普通に過ごすことができる。
けれども、コミュニケーションに「普通との差異」があれば、それが次第にトラブルに発展することになり、関係性は次第に消滅していきます。
私は人間関係に最も重要な「信頼」というものをもっていないのだと、大学1年の夏休みに入る頃には気づき始めました。

この夏休みの直前に、非常に重大なインシデントを引き起こし、私は精神的に気力を失いました。

 

大学1年生、ひきこもりになる。

 

真夏の炎天下、大学1年生であればサークルの合宿や友達との旅行など青春を謳歌する時期に、6畳のアパートの中で一人ひきこもり、何も食べずにベッドの上で過ごしていました。

facebookやtwitterなどのSNSを見ると精神的に非常に参ってしまうので、スマートフォンは電源を切り、トイレと水を飲むときだけ、布団の上から立ち上がりました。

そんな生活を15日ほど続けていると、次第に衰弱していきます。食料を求めて、冷蔵庫へ向かおうとすると、身体が全く動かない。

人間は食事をしないと、食事をする体力すらなくなるのだと、このとき実感しました。

 

午後、2時、精神科

 

 

 

その後、この生活を抜け出し実家に逃げ帰った私は、精神科を駆け回るようになりました。

ネットで調べた「発達障害」に関する記述が自分とそっくりそのままであり、私は何か助けを求めるように、そのレッテルを求めたのです。私の「性格」ではなく、それが、「障害」であるのならば、まだ何か救いがあるような気がして、診断をもらうためだけに、病院に向かいました。

 

 

全国の病院(大人成人発達障害診断)
全国の病院

 

 

結論から言うと、私は、発達障害の確定診断は受けていません。

そもそも、発達障害は診断が極めて困難です。

近年は、発達障害が一般的に知名度を高めた結果、気軽にネットなどで得た情報を元に、自分や他人を発達障害だと思い込む人が多いです。

「アスペ」なんて言葉がネットスラングとして定着したことも、発達障害に対する偏見の広がりとともに、一般的な用語になったことの表れでしょう。

発達障害の診断では主に以下のことをします。

発達障害の診断
  • 家族からの問診(特に患者の幼少期に関すること)
  • 本人からの問診
  • 知能指数検査(言語性・非言語性)

 

発達障害は後天的なものではなく、生まれつきの脳の特性であると言われています。
ですので、家族からの患者の幼少期の出来事というのが、診断には欠かせないものになります。

 

地域政党「大阪維新の会」の大阪市議団が、発達障害についての条例案文面に不備があることを認め、謝罪した。きっかけの1つは、維新の会率いる橋下徹大阪市長が紹介したツイートだった。

「軽度発達障害(etc)が親の愛情不足とか太古の理論出してんじゃね~よ!」
橋下徹市長がツイッターで2012年5月3日、こんなお叱りのツイートがあったと明かした。

「親の愛情不足で発達障害」 維新市議団が条例案文面を謝罪

 

 

また、知能指数を測ることは、ディスクレパンシーが大きい場合、発達障害の可能性があるためです。
人間の知能指数には言語性と動作性のものがあり、双方の平均値がいわゆるIQとして表れます。
ディスクレパンシーとは言語性IQと動作性IQの差のことです。
この差が大きければ、大きいほど、能力に偏りがあり、生活を送るのに困難が生じます。
だいたい普通の人は5~15以内に収まります。

 

以下はディスクレパンシーが大きい人の、心中を表現したまとめです。

 

ディスクレパンシーって自分が思っているよりも自分の心に影響しているのかも。
初めは、別の話題です。

モリノ @yaguramorino
というか、俺の脳みその話。
俺の脳みそは知力のばらつきが大変大きい。
上が130以上。下が70ぐらい。だいたい50近く差がある。群指数の違い、だっけ?
とにかくそれだけの差がある。
モリノ @yaguramorino
つまり、一人の人間の中にIQ130の東大生とIQ70の軽度知的障害者がいるってこと。
ここで文章を書いているのは言語理解130の方。これが俺全部だったら、万々歳だったんだけれど。
モリノ @yaguramorino
東大生(仮)の俺は言葉が達者だ。言葉を理解することで世の中を理解してくれているのは彼の力。
問題は他の部分のところだ。
モリノ @yaguramorino
ぶっちゃけ残りの部分がついていかない。ついていかないどころか、猛烈に足を引っ張るわけだ。
大人の体に、東大生と小学生が一緒に住んでいるようなもの。
東大生は言葉は分かるけど、頭でっかちで現実に沿った行動は一切できない。
モリノ @yaguramorino
小学生の俺は、小学生だけに失敗続きで大人の世界に入っていけない。
何か失敗したら、東大生の自分は小学生の俺をひたすら責める。
モリノ @yaguramorino
だから、自閉症の子供が失敗した時に、自己肯定感が損なわれやすいというの事実は、すごく共感できるんだ。
彼の頭の中では、彼の大人の部分が一方的に子供の弱さを責め続けるのだから。
IQの偏りが激しい人は、心中穏やかでない。

 

私の言語性IQは133、動作性IQは89でした。

 

つまり、ディスクレパンシーは40を超えていました。
余裕で日常生活に困難を伴うレベルではあるのですが、これだけでは発達障害とは言い切れないのです。
知能指数検査はそのときの状況によってどうとでも結果が変わるし、本人に対する問診だって、発達障害だと本人が思い込んでいれば、それに近い問診結果になるのは明らか。
総合的に判断しなければ、障害であるなどとやすやすと診断することは、医療倫理の観点から見ても、難しいでしょう。

 

また、発達障害であると診断されたからといって外部的に何かいいことがあるわけではないです。
せいぜい本人が自己満足し、特性を考えて生きるようになるだけで、周囲からの反応や社会的な生きづらさは変わりません。

 

というわけで、私は正式な診断は行わず、大学は「適応障害」という医師の診断書を提出し、休学することを選びました。

 

ひきこもり後の大学生活

 

その後もいろいろな人間関係のトラブルに見舞われ、アルバイトもサークルも長続きせず、今日に至ります。

おそらく会社も、もうすこしで辞めることになるでしょう。

私は常に点であり、決して線に交わることができない存在なのだと、20歳の頃に未来を予測しました。

そして、その決して叶えたくなかった願望は、現実のものとして今も私の前に存在し続けます。

もちろん、今のこのような現状はすべて私が招いた、自己責任です。

障害であろうがなかろうが、努力しないものに、社会は決して優しくはありません。

残酷に、そして正直に、現実を見て、社会は成功者と不成功者を区別します。

人間を社会適合者と不適合者を分類します。

残念ながら、普通の人は、普通の側に立ち、決して変わり者を許容しません。

それはもし、宇宙人が地球に侵略しに来たら、地球人がどのような反応をするか考えれば、至極当然の結果といえます。

「普通」を信じている人がいる限り、発達障害は生まれ続けます。

逆に発達障害が増え、「普通」がマイノリティになれば、普通の人が生きづらい世の中となるでしょう。

私はもう、こんなレッテル貼りは辞めたほうがいいと思います。もちろん、発達障害という診断に救われるかたが多くいるのは事実。それ自体が悪いことではないと思います。

どちらかというと、多様性を認めましょうとか、障害者に優しくしましょう、という社会自体が変わらないとならないと思います。

これらのフレーズは、なんとなく「いい感じのこと言ってる」風なわけですが、それ自体がすでに自分たちと区別してますよね、ってことです。

 

もっと無関心でいい。

 

私はもっと、無関心でいいんじゃないの?と思います。

いろんな人がいるのが当然なんだから、みんな認め合って、ほどよくみんな無関心であればいいと思います。

路上に落ちている石ころが変わった形をしていたところで、誰も目にも止めないでしょう?

私たちは石ころなんです。決して高尚な存在なんかではありません。もともと、変わっていて当たり前。

普通の人間なんて、誰一人いないのです。

だから、普通の生き方も、普通の生活も、あなたが思っている「普通」は何もかもが幻想なのだと。

他人と何一つ比較する必要はありません。

みんなが18歳で大学に行くなら、ひきこもりになればいい。

みんなが子供の頃にピアノを習い始めるなら、30歳を超えてから、ピアノを始めたらいい。

みんなが子供の頃から勉強して医学部を目指すなら、40歳になってから、医師を目指したらいい。

みんなが東に行くなら、西に行けばいい。

みんなが就職するなら、就職しない道を選べばいい。

だって、みんなが命を奪い合ったとしても、あなたは命を大切に、守り抜くでしょう?

誰が何をしても許容される社会、変わり者が変わり者でなくなる社会こそ、生きづらさがない社会と言えるのではないでしょうか。

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crelife

北海道生まれの25歳住所不定無職。慶應義塾大学卒業。元広告会社社員。入社7ヶ月で退社。田舎フリーランス養成講座(いなフリ)12期生/ジーズアカデミーdev9期生/太田プロダクションエンタテイメント学院6期生(芸人養成所)/元ガールズバー店員/23歳までに芥川賞取る計画が失敗し就職するも無職へ/社会を新しく築くために生きることを決める。

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