学問のすゝめ?フリーターから慶應大学に合格して変わったこと

どうも、新卒3ヶ月目、いますぐビットコインで稼いで退職したい、あおのひとだよ。

私は20歳、2浪の歳で大学に入学しました。しかし、それまでの1年間は予備校などには通ってませんでした。

高校卒業後、浪人1年目の歳には一応予備校に籍を置いていたのですが、映像授業だったこともあり、ほとんど通うことなく、近所の図書館で本を読んで過ごしていました。

いわゆる、ニートですね。

そんな調子で勉強を一切しておりませんでいたので、もちろん大学には受からず、浪人2年目に突入。

親の手前、勉強もしないのに家にいるわけにもいかず、バイトをして過ごしておりました。

つまり、パラサイトフリーター(親の援助を受けながら生活するフリーター”実質ニート”)となりました。

今回は、私が過ごした高校卒業後から、大学に入学した後について振り返ってみたいと思います。

 

半年間の受験勉強で、慶應義塾大学に合格

 

一応、世間的には2浪なのですが、私が大学受験に向けて、勉強していた期間はほとんどありません。この間、勉強に対する焦りだけが増幅し、参考書を買いあさっては放置するという行為を繰り返していました。いまにして思えば、浪人という最も集中しなければならない期間に、”集中力が明らかに不足している”状態は異常です。

 

そもそもが学業に向いていない人間であり、大学ではない進路を目指すべきだったのですが、当時の私は東京の大学に行けば何かが変わると信じており、上昇志向も強く、有名大学に入りたいという気持ちだけが大きくなり過ぎてました。

私が憧れる起業家や芸能人、アーティストは早慶や東大、MARCHなどの東京近郊の有名大学、一橋の出身者が多く、私もそのような大学に入れば、成功者になれるのではないかと考えていました。

 

もちろん、そんなことはありません。有名大学には才能のある多くの人がいるのは確かですが、全ては自分次第です。環境や人から刺激を受けることはあっても、それまで生きてきた人生での経験やパーソナリティは人それぞれ。同じ大学であっても、裕福な家庭で英才教育を受けてきたエリートと、同じなのは”学歴”、ただそれだけです。

 

高校卒業2年目、夏も終わろうとしていた頃に、やはり諦めきれなかった受験に対する意欲が芽生え、私は大学受験に向けた勉強を始めることとなります。私は受験に向けた環境を整えるため、母親の援助を受けて東京で生活をすることになりました。この当時、母親にかけた金銭的、精神的な苦労は相当なものだったと思います。私がハタから見れば無謀な挑戦とも言える行動に出たにもかかわらず、援助してくれた母親には感謝しきれません。

 

そうした母の援助の甲斐もあって、半年間の受験勉強を経て、慶應義塾大学に見事合格することになるのですが、決して第一志望の大学とは言い難いものでした。世間的に見れば慶應は一流大学であり、私の境遇から合格したことはかなりの幸運と言えるのですが、私には行きたい別の大学がありました。特に私はこの期間の受験勉強においても、100%の力を出し切ったとはいい難く、まぐれで受かった結果だと思っています。100%の自分の力を出し切れなかったことも、私の実力ではあるのですが、そういう意味でも私は納得できない面はややありました。

やはり、母の一時的な援助があったとはいえ、中高一貫校に通ったわけでも、裕福な家庭で育ったわけでもなかった私には、実際、環境的な面で大きなハンデがあったことは確かです。東大合格者の中には母子家庭で、予備校にも通わず受かる、努力の天才のようなものもおりますが、その大部分は私立の中高一貫校出身です。東大合格者の親の平均所得は約900万円と言われており、これは慶應や早稲田でも同様でしょう。世の中には金のことを一切気にせず、勉強だけにひたすら打ち込み、予備校では取りたい講義をふんだんに取り、バカ高い家庭教師をつけてもらえる受験生も存在します。このような受験生と比べるわけではないですが、学歴ですら大半の場合は、環境に左右されるのは事実です。

 

ただ、学歴は人生における自分ではどうしようもない様々な出来事の中で、比較的自分の努力次第でどうにかできるものでもあります。

たとえ親がどうしようもない人間でも、現時点での偏差値が30でも、親族に大学出身者がいなくとも、決死の覚悟さえあれば東大に合格することは不可能ではありません。もちろん、親が東大出身のエリート家庭で育つより、だいぶ可能性は低いですが。

慶應義塾大学に入って変わったこと①周囲の反応

大学に合格したことがわかると、まっさきに母にそのことを伝えました。母は私が大学に合格したことを喜んでくれ、純粋にそれが私は何よりも嬉しかったです。その後、実家に帰省すると父や親戚に合格したことが伝わっており、そのことに対して今までにない反応が返ってきました。父とは当時ほとんどコミュニケーションを取っておらず、どのような反応をするか不安でしたが、大学入学に関しては概ね肯定的な反応でした。ただ父や母、親戚も含め、私が合格したことに対して漏らした感想の中で、私があまり納得できないものがありました。

 

それは「頭がいいから、慶應大学に受かった」というものでした。

 

私は決して頭はよくありません。物覚えは悪いですし、集中力もありません。文章を読んでもなかなか頭に入ってきませんし、高校では常に最下位争いを繰り広げておりました。いわゆる机の上のお勉強は、一切できません。私が大学に合格したのは、私が往生際が悪く、夢想家であり、自分が一流大学に受かると信じ、諦めなかったこと他ありません。そもそもまぐれで受かったようなものなので、もう一度試験を受けたら、受かる自信は全くないです。何より「頭がよかった」の言葉で私の大学受験を片付けられては、私の死に物狂いの努力と、苦悩をなんだか否定された気がされて、あまりいい心地はしませんでした。

 

つまり、私のことなど、鼻から誰も見てくれてはいなかったわけです。母は当時こそ努力を褒めてくれましたが、その後は「元々頭がいいから」などと事あるごとに言ってくるので、なんだかもやもやとした感情が湧いてくるのです。

 

また、大学入学後、アルバイトなどを始めて大学外の人と触れ合うと、また反応が今までとはうって変わることに気がつきます。今まではバイト先で大学生や大学卒の社員の方に、高校卒業してフリーターをしている人として見られていたわけです。特にバカにされることもなかったですが、経歴をつげていい反応をされてこともほとんどありませんでした。ところが、大学入学後にバイトをすると、「慶應ボーイ!すごい」みたいな反応をされるわけです。もちろん、だからなんだって話ですし、結局は人間性なのですが、世の中の人は思っている以上に、人を肩書きや見た目で判断するわけです。なにもしてないのに「頭いいですね」とか「やっぱ違う」とか言われることもありました。何が違うんだよwって感じですが、高卒フリーターから慶應という肩書きを突然持った私は、そのあまりの反応のギャップに戸惑いました。もちろん中身は高卒フリーターをしていた頃の私と何も変わっていないので、「慶應ボーイなのに、使えねえな」とか「慶應だからって調子のんな!」みたいな反応に次第になっていくのですがw

慶應義塾大学に入って変わったこと②自分の心境

大学入学前、私は自分のことを頭いいとは決して思ってはいませんでしたが、勉強が全くできないとは思っていませんでした。しかし、大学入学後、私は今までの人生で関わったことのない、学歴エリートたちと出会うことになります。英語の論文や査読論文をスラスラと読み、わかりやすい言葉でプレゼンテーションを行い、難解な研究やプログラミングをいとも簡単にやってのける。彼らは往々にして、入念な準備を怠らず、真面目に勉強をします。いわば努力する頭のいい連中が、大学にはごろごろいました。そんな連中に頭も良くないのに不真面目な私は、逆立ちしたって勝てないわけです。私も大学に入学したからには学業に勤しもうと思っていたところがあったのですが、速攻で学業の面からは撤退することになりました。

 

といっても、遊びやサークルなどの学外の面でも、エリートと私ではあまりに違います。慶應義塾に通う彼らは、もちろん人にもよりますが、非常に恵まれた経済的環境に生きるひとが多いです。幼少期からやりたいことをやらせてもらえる環境に身を置いていた彼らは、金銭的な面を考慮せずに行動することができます。私は行動する前にまず、金のことを考えるような環境で育ったこともあり、今でも何をするにも金のことを考えてしまいます。大学生活の大半をたいした金にもならないバイトに明け暮れた私は、せっかくの自由な時間を謳歌することがあまりできませんでした。

 

また、大学入学後早いうちに、自分の発達障害的な側面に気がつくので、起業して成功してやろう!みたいな意欲はかなり減退してしまいました。ただ、だからといって、憧れた著名人のような道を、諦めきれなかった私は芸人の養成所に通うことになるのですが、ここでも将来への金銭的な不安から、芸人の道を断念してしまう結果となるのです。というわけで、大学に入学前の尖っていた私の心は、具現化することのないままとなりました。

学歴を手にする本当の意味

 

では、学歴を手にすることに意味はないのでしょうか。私の極端な事例からは、あまり学歴のメリットは感じられなかったかもしれません。しかし、学歴が必要ないとは私は思いません。学歴は単なる学歴です。それ以下でも、それ以上でもないです。学歴だけには意味はないでしょうが、有名大学であれば、学歴は強力なツールになります。人間は、思っている以上に、その人の肩書きや経歴で、人を判断します。例外的な人もいますが、限定的な側面において、学歴社会であることは事実です。

 

そもそも、深い仲にでもならない限り、その人の内面など評価しようがありません。もちろん、クリエイターやアーティスト、芸能人、経営者などであれば学歴は関係ないですが。早慶や東大などのブランド力のある大学であれば、それだけで一定の信頼があります。有名起業などでも同様でしょう。何もない人間が、信頼を獲得するのは並大抵のことではありません。特に私のような、深い関係になればなるほど、信頼が崩れていくタイプの人間にとって、容易に一定の信頼を身につけさせてくれる学歴は、そこそこの力を発揮します。

 

ただ、学歴なんてそれだけの価値しかありません。その大学でしか身につけられないスキルや人脈、いろいろな目的があって大学に入学する、籍を置くのは自由です。

 

しかし、自分の道を自分で切り開いていくだけの力があれば、学歴にしがみつく必要はありません。その大学で得られるものが、もうないと感じているのであれば、途中で退学し、いち早く社会に出て信頼を積み重ねていくほうがいいでしょう。著名人や成功者には大学中退者も多いです。

 

本当に信頼を集められる人間にとって、学歴などは必要ではありません。なんとなく大学に行き、なんとなく就職して、なんとなく人生を過ごす。そんな人生を送りたいのでなければ、今すぐ大学なんて中退しましょう。というわけで、学問のすゝめに見せかけて、中退のススメを読んでいただきました。

 

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crelife

北海道生まれの25歳住所不定無職。慶應義塾大学卒業。元広告会社社員。入社7ヶ月で退社。田舎フリーランス養成講座(いなフリ)12期生/ジーズアカデミーdev9期生/太田プロダクションエンタテイメント学院6期生(芸人養成所)/元ガールズバー店員/23歳までに芥川賞取る計画が失敗し就職するも無職へ/社会を新しく築くために生きることを決める。

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