【退職エントリ】新卒半年で大手広告会社を退社しました。【人生振り返りエントリ】

昨日会社を退職しました。

みなさま、こんにちは。
(そもそもこのブログ読者はいるのか・・・)

 

私は昨日、人生の大きな転機を迎えました。
大学卒業後、新卒で入社した会社を”わずか半年”で退社しました。
この半年という期間をどう取るかは人によるかと思いますが、
大半の人はポジティブに受け取ってはくれないでしょう。
これからの人生でこの新卒半年で会社を辞めたということが、
足かせになるのかもしれません。
実際そのように数多くの人に言われましたし、親身になって相談に乗ってくださった様々な人生の先輩方からもう少し続けてもいいんじゃないかという、極めてまっとうなアドバイスをいただきました。
私自身も葛藤がなかったわけではありません。

私自身会社には一切の不満はありませんし(これはガチの本音です。とてもいい会社だったと思っています。)、特に周囲の人には大変恵まれました。
人間関係に非常に恵まれ、配属先の上司とも良好な関係性を築けていたと思います。

しかし、私は”退社”という道を選びました。

そのことについて自分自身の整理とともに振り返ってみたいと思います。

25歳とは一体何か。

私は2017年11月1日現在、25歳です。
1991年生まれで12月には誕生日を迎え26歳になります。
もしストレートで大学に入り新卒で就業していれば、大卒4年目。
世間の同世代は若手ながら社会人としての経験を積んでいるはずです。
人生やキャリアについて考え、転職などをするひともいるでしょう。
社会的に成功しているひともごく一部かもしれませんがいるはずです。
スポーツ選手であれば分野によっては引退しているひとだっています。
女性アイドルなら決して若手とは言われません。
そんな年齢が世間でいう25歳です。
もちろん若者ではあるものの、それなりの経験やスキルを積んでいるひともいますし、
分野によってはベテランと呼ばれたり、起業などを経て経営者になっている方だって珍しくはないでしょう。
比較すれば若者ですが、混じりっけのない若者とも分類されがたい。
17歳がギターを始めてミュージシャンを目指すと言えば、まあがんばればっていう感じですが、
25歳が今からそんなことを言えば、頭おかしいのかと思われるでしょう。

可能性はないわけではないものの、夢から現実に向き合わなければならない年齢、それが25歳なのかもしれません。

まあ、人と比較すればキリがないわけないですし、上を見ればいくらでも上があります。もちろんニートや無職だっているでしょうし、本当に人によるとしか言いようがないですが、世間の感覚としての25歳はそんな感じです。

私は高校卒業後現役での大学受験に失敗し、予備校を経て大学に入りました。
1浪ではなく2浪です。
北海道で生まれ育った私はどうしても東京に行きたいという思いが強く、東京の私立・国立を中心に受験したのですが、どうにも受験勉強に身が入らない。
かといって妥協もしたくなかった私は受かりもしない上位国立・私立ばかりを受けつづけ、どこにも受からないという悪循環に陥っていました。
2浪時にはアルバイトに精を出した結果、秋まで受験勉強を一切していませんでした。非常に焦った私は家を飛び出し有名な家庭教師や受験アドバイザーを頼りなんとか受験勉強を始めました。
結果として慶應義塾大学に合格しましたが、もしここに受かっていなかったら本当にどうなっていたかわかりません。
おそらく高卒フリーターとして現在まで人生を歩んでいたことでしょう。
(まあどちらが本当に正しかったのかは入社半年で退職した今となってはわかりませんがw)

【ここまでの経歴まとめ】
【ここまでの経歴まとめ】 1991年、北海道網走市にてオギャー → 2010年、札幌の高校卒業後予備校に通うも中退、ニート → 2012年、慶應義塾大学環境情報学部(SFC)入学、晴れてニートから慶應ボーイに

大学に入って半年でニートと化す

SFCに入ったのはたまたまですが、この一風変わったキャンパスは私にとっては良い選択であったのだろうと思います。
個性豊かな仲間や起業家を輩出するSFCの価値観は世間の常識にとらわれない寛容さがあり、私のようなひねくれ者も受け入れてくれました。
ただ私は2年間ニートみたいなものでしたから、慶應大学に通う良識ある方々とはやはり様々な面で違いを感じていました。
結局、大学も会社同様半年で休学することになりました。
今思うとこのとき休学ではなく中退を選択するべきであったのかもしれませんが、当時の私にはその勇気はなかった。
そんなこともあり、今回はきっぱり退職という決断を選んだのですが、これもまた正しかったのかはわかりませんね。
結局長続きしない性格というのは事実だと思いますし、世間的にもこれからそのような人間だと見られるでしょう。
それはもはや仕方のないことですし、受け入れるしかありません。

再び大学時代の話にもどします。

同時期に親が退職することになり奨学金を借りて大学に行くことになります。また、生活費や交際費を工面するためにアルバイトをすることになります。
このあとの大学生活はほとんど大学には行かずアルバイトしていたので実質的にはフリーターです。
アルバイトは本当に色々しました。
これも長続きしないからというのもありますが、私自身色々な職種を経験して人生を模索したかったのです。
まず、休学していた頃に始めたのはパチンコ屋。
パチンコ屋に入ったこともやったこともなかったのですが、高額な時給と興味本位で働くことにしました。まあ、本当にすぐ辞めることになるのですが。
その後、コンビニ、出版社、テレビ局、塾講師、映像制作会社などなど。
色々な職種・会社を経験しました。

大学も一応入ったので何かしら学ぼうと研究室に入ることにしました。
SFCでは学年に関係なく研究室に入ることができるので、休学して1年生のままだった私ですが、
電子工学や脳科学などを研究する研究室に入ります。

【ここまでの経歴まとめ②】
2012年、大学休学 → 2013年、ただのアルバイターになる → 研究室に身を置きながら夜は塾講師、深夜はコンビニ店員。サークルはいかなくなる

芸人を目指すし、大学生っぽいこともするし、就活もする

私自身、このころも人生について色々と考えていたんでしょう。
この後、マスコミ志望者向けの大学に長年ある養成機関の入所試験を受けることになります。
慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所(旧新聞研究所)です。
無事試験に合格し入所した私は広告系の講義を受講しました。
大手広告代理店の現役講師が担当する講義は非常に面白く、広告業界に興味を持つきっかけにもなりました。
同時にテレビ局でのアルバイトを始めました。
ずっと夢見てたテレビの中の世界を覗くことができ、非常に刺激的な経験となりました。
そんな中で大学から給付型の奨学金をいただくことになり、思わぬ大金が手元に残りました。
私は昔から夢見てたキャリアを歩むために決断しました。
それはお笑いへの道でした。
2014年、お笑い芸人になるべく太田プロダクションが運営する養成所に通うことになりました。
こうして大学では広告やメディア関係の講義を学び、ゼミではプログラミングをし、毎週火曜日は芸人養成所に通い、深夜にはテレビ局でアルバイトをし、というなんだかよくわからない日々を送っていました。
こういう興味本位で様々なものに手を出す性分はこのころから変わっていません。
おそらく私はプロフェッショナルになりたいと思う反面、パラレルキャリアを歩むことしかできないのだと思います。
決定的に私にかけるのは集中力。
受験勉強に身が入らなかったのもこれが原因であることは間違いないでしょう。

芸人養成所には非常に様々な経歴の人がいて、普通の人生では味わうことのできない出会い・経験ができました。
30過ぎフリーターのSさん、放送作家を目指すMさん、関西で野球のベストナインを獲得後大学中退したM、福岡のローカル芸人、電通内定東大生、高校卒業後上京して芸人を目指す青年、還暦まじかのおばさん、上智卒会社員、早稲田でお笑いをやっている学生、劇団に所属する慶應生、40過ぎのおじさん。
本当に様々なひとがいて、皆色々な思いを抱え芸人養成所に集まってきました。

私はというと結局のところ芸人になることはありませんでした。

芸人という夢を諦めた私ですがどうしても会社員というキャリアを考えられなかった私は、
起業を目指しプログラミングを学んだりビジネスコンテストに出たりしました。
しかし、もうすでに大学生活も終盤。
いつの間にか就活シーズンに突入し、私も周りに流されるようにマイナビに登録し適当に知っている大企業にエントリーをし始めました。
そもそもあまりやる気はなくOB訪問もしなかった私が就活をうまく乗り切れるわけもなく、
立て続けに失敗しました。
最終面接までは何社か進むものの、結局熱意もコミュ力も学生時代のエピソードも今一つな私はことごとく落とされました。
なので昨日までいた会社に内定を頂いた時は本当に嬉しかったのを覚えています。
結局内定は4社からいただきました。
株式会社産経新聞社、株式会社東北新社、株式会社電通クリエイティブクロス、広告会社の4社。
この中から私は当時一番憧れていた広告クリエイターや映像(CM・広告)への道を開けると考え、広告会社に入社することになります。
実は電通には大学3年次に中退して入ろうと思い入社試験を受けていました。
当時電通の募集要項に学歴に関する項目はなかったので、受験資格はあったのです。その時は2次選考まで進みましたが最後に大学3年生であることを突っ込まれ(半年休学していたので履歴書上は4年生)、見事落ちることになりました。常識で考えれば受かるはずも無いので面接官からしたら失礼極まりない学生だったのだと思います。
本当の就活の時にも電通は受けましたが、 OB訪問を全くしていないこと、志望動機が電通とは合わないことを突っ込まれ、すんなりと何の手応えもなく1次面接で落ちました。

そういう経緯もあり同じ広告グループ会社に受かった時は非常に嬉しかったのです。

【ここまでの経歴まとめ③】
2015年、コンビ解散。芸人を諦める → 2016年、就活。苦節するも無事内定獲得 → 大学卒業後、六本木のバーにて働く。夜の世界と自分との不適合さから逃げ出す → 2017年、新卒で広告会社に入社。やっと社会人としてのスタートラインに立つ → 10月、スタートラインに立ったにもかかわらずわずか半年で退社するという道を選ぶ

25歳慶應卒元ニート、新卒入社半年で会社を辞める

さて、なぜ私はわずか半年で退社するという決断に至ったのでしょう。
世間で電通がブラックブラックと言われている昨今、グループ会社である以上私もそのことを覚悟して入社しましたが、あれだけ世間のバッシングを受けたわけで逆に労務管理は徹底されていました。
そもそも新入社員ですからほとんど業務もなく定時で帰ることも多かったですし、拍子抜けするほどの恵まれた環境でした。
配属された部署の上司や人間には非常に恵まれ、社会人として右も左もわからぬ私に親身になって指導してくださる先輩ばかりでした。
むしろ問題があるのは私のほう。
どうも思っていた業務内容とのギャップを抱えていた私は仕事に身が入らず、そのような姿勢が周囲に伝わっていたのだと思います。

私はそもそも大企業の会社員に必要なマインドセットを持ってはいませんでした。
小学生の頃からサラリーマンには向いてないだろうと感じていた私にとって、大きな組織の一員として働くこと、組織の意向やスピードに自分自身を合わせていくことに次第に窮屈さを感じ始めました。
また、ネットで起業家や活躍する同世代の記事やブログを拝見するうちに自分の本来的な気持ちに嘘がつけなくなり、本当にこのままでいいのだろうか?という思いにいてもたってもいられなくなりモヤモヤを抱えながら1日を過ごすことが多くなりはじめました。
新入社員ですから与えられる業務も決して難易度の高いものではなく、量的にも多くはありません。
そのことに対してもこのままの成長スピードでいいのだろうか?という焦りが強くなり不安に押しつぶされそうな日々を送るようになりました。

私はまぎれもない新入社員です。
日本において新卒という制度を導入している以上、ほとんどの文系総合職はポテンシャル採用となります。
技術職やデザイナー職を除いては皆一律に新卒として企業に染まっていない状態からスタートし、企業が時間をかけて使える人材に育てる文化が浸透しています。
日本を除いてはインターンが一般的で正規雇用される道のりは厳しいものがありますし、なんのスキルもない状態ではどこも雇ってはくれません。
そういう意味では日本の学生というのは非常に恵まれていますし、新卒という制度は企業に非常に負担のかかるものです。
何一つ会社に貢献していない状態で学びながら給料をいただける新卒社員というのは、非常に守られている世界的に見ても稀有な存在であることは確かです。
(もちろん新卒であっても即戦力人材を求めるベンチャーや社員を単なる使い捨ての労働力としてしか見ていないブラック企業は別です。)

そんな恵まれている環境にも関わらず、その環境を生かせず、結果として私は周囲の期待を裏切ることになりました。
そのことについては自責の念を抱えつつも、退職という言葉が現実のものになる前々から私は自分自身の人生について真剣に考えるようになります。

17歳のとき、こんな文章を読んだ。『毎日、今日こそが自分の最後の日だと思うようにすれば、いつの日か、自分が正しかったということを確信するだろう』この文章は、強烈な印象を私に与えた。

それ以来33年間、私は毎朝、鏡に向かって『もし今日が自分の最後の日だとすれば、今日しようと思っていることが、本当にしたいことだろうか?』と自問するようにしている。もしその答えが「ノー」だという日が何日も何日も続くようであれば、何かを変える必要があると思うわけだ。

私はスティーブジョブズ信者ではないですが、人生において常に自分の答えを探し続けた彼の姿勢には見習うべきものがあるでしょう。

答えを探し続けることは非常に疲れますし、苦しいことです。
いっそのこと答え探しをやめて周囲に流されるように生き、思考を停止するほうがよっぽど楽です。
思考停止しないで寝るとき以外考え続けていると心も体も疲弊し、やがて人生すら嫌になることでしょう。
私もまさにそんな状態でしたし、そうやって命を落とす人だって決して少なくないと思います。
それでも考えることを止めないのはなぜでしょうか。
なぜ答えを探し続けるのか。
なぜ環境を変える必要があるのか。
今の環境で自分なりの生き方を模索することも一つの答えです。
環境を変えることがすべてでは決してありません。

それでも私は自分に嘘がつけませんでした。

他人に嘘をつくのは世の中をうまく生き抜く一種のテクニックです。
社会にはそのテクニックを全身にまとったプロフェッショナルがいっぱいいます。
ただそれは決して悪いことではないと思います。
世の中の物事を円滑に進める上で他者に嘘をつくことは悪いことではないのです。
優しい嘘で世の中は溢れているからこそ、傷を最小限に抑えながら世の中はうまく回るのです。

ところが次第に人は自分に嘘をつくテクニックを身につけ始めます。
自分の本当にやりたかったことや進みたい道を偽り、自分の本来やりたいことは今やっていることなんだと思い込むようになります。
いつのまにか何が嘘であるかすら忘れ始めます。
なぜなら、そうしないと人は社会に適応しながら生きていけないから。
人はカメレオンほどではないけれども、大抵変化に適合するようにできています。
生きることは人間の遺伝子に刻み込まれた目的であり、なるたけ器用に立ち振る舞い生きることは人間が生き残るための必須条件です。
人間が社会でうまく立ち振る舞うためには無益なこだわりなどは捨てるべきでしょう。
夢もプライドも投げ打って、従順に変化に適合しながら生きていく。
その中で忘れられない夢や偽れないこだわりだけは少しだけ残して、社会に適合する。
器用に生きるとはそういうことです。
人生の9を嘘ついても1は嘘をつかない。
その割合は人それぞれですし、器用な人ほどそのバランス感覚に長けていますから、うまく社会で生き抜く術を持ち合わせているはずです。

ただ私にとってはその1の嘘ですら、つくことができなかった。
不器用な私は自分に対して嘘はつくことはできません。
なぜならそれは命に対する冒涜、生命の尊厳に対する不敬だと私の脳みそに刻み込まれているからです。
別に毎日全力で生きろ、とはいいませんし私も日々だらだらしている時間はあるわけですが、
嘘をついて生きた時間に対してはどうしても取り返しのつかないもったいなさを感じてしまいます。
人生における時間が無限にあるのなら話は別です。
ただ我々は非常に短い、一瞬しか生命を享受することができません。
よく人生は30000日だと言われます。
約81歳、だいたい日本人の平均寿命でしょうか。
普通に健康に生きることができたのならそのくらい生きられるかもしれません。
ちなみに生まれてから10000日は約27歳、つまり人生の3分の1。
私は現在25歳、もうすぐ26歳ですから人生の3分の1はしばらくすると、あっという間に過ぎるでしょう。

20歳の頃、私は生まれて初めてリアルな”死”を意識しました。
余命半年、もしくは数ヶ月。明日には死んでいるかもしれない。
リアルにそう感じたことがあります。
そのような状態からはかろうじて抜け出すことができましたが、命というのは幻想に過ぎないことを実感しました。
明日が来る保証などどこにもないのです。
余命半年も1年も80年も変わりありません。
赤ちゃんに余命80年であるなんて言わないように、余命半年の人も余命半年であるかなんて誰にもわからないわけです。
赤ちゃんも老人も皆、平等です。
いつ死ぬかなんて決して誰にもわかりません。
そういう意味では明日死ぬとしたら今日は人生最後の1日、ここ数年の日々は晩年であるといえるでしょう。

人間はいつ死ぬか、決してわからないのです。
だから、日々を懸命に精一杯、後悔しないように過ごさないとなりません。
決断するんだったら、1日でも早くしなければならないのです。
明日が来る保証は、決してないのですから。

いま人生に悩んでいて希望を見出せなくて、たまたま検索してこのブログにたどり着いたどこかの誰かさんへ。

世界を変えたいなら、今すぐ動け。
自分を変えたいなら、今変えろ。
やりたいことがあるなら、いまやれ。
行きたいところがあるなら、いますぐ行け。
そこに邪魔するものなんてない。
もしあるとすればそれは幻想だ。
幻想を抱く自分自身が邪魔者だ。
そんな自分はいますぐ捨てろ。
後悔なんてするな、選択肢なんて幻想だ。
選んだ道がすべて、他に道はない。
ひたすら前に突き進め、考えるな。
もし道が違っていたら、立ち止まれ。
正しい道を探すのを止めるな。考えるのを止めるな。
がむしゃらでいい、かっこわるくていい、みずぼらしくていい。
気持ち悪くていい、汚くていい、不器用でいい、失敗していい。
負けていい、ださくていい、下手でいい、非効率でいい。
何をしたって構わない、他人に合わせるな、他人の時間を生きるな、自分を生きろ。
人生は一度きりだ。
ブサイクでも、バカでも、貧乏でも、
イケメンも、インテリも、金持ちも、人生は一度きり。
運が悪くても良くても、成功しても失敗しても、それは同じだ。
人生で決まっているのは一つだけ。
生まれたからには必ず「死ぬ」ということ。それだけだ。
起きてクソして飯食って風呂入って寝る。
人間大して変わらない。
人と比較してなんになる。
モテる、モテない、愛される、嫌われる、器用、不器用、
優しい、冷たい、幸せ、不幸。
世間でどう思われるかは関係ない。
自分にとっての優しさ、自分にとっての愛、自分にとっての幸せ。
それがもし世間のそれと同じであれば、あなたはきっとこの上なく愛されるだろう、
優しくされるだろう、幸せになれるだろう、モテるだろう。
もしいま愛されなくたって、それは決して嘆くことではない。
自分では優しくしているのに冷たく思われるからって思い悩む必要はない。
世間と少しずれているだけ、それは決して悪いことではない。
きっとどこかにあなたを愛してくれる世界はある。
自分が愛せる自分を見つけろ。
自分が愛せる世界を探せ。
何も知らなくていい、必要なのは勇気と覚悟だけだ。
中途半端に生きるな、適当に生きるな、時間は命だ。
辛くてもきつくても苦しくても楽しめ。
楽なことはよっぽどつまらない、楽じゃないからよっぽど楽しい。
他人の価値観にとらわれるな、世間の常識を知るな、なりたいものを信じろ、
生きたい人生を生きろ、決めるのは誰かじゃない。
他人のおかげと他人のせいを勘違いするな、
誰かのためにを誰かのせいにするな、
常に自分で決めてきたはずだ、
他人に言われたからじゃない、
それも含めて自分で決めたんだろう。
笑われることを恐れるな、多数派になるな、聴衆を怖がるな。
他人を笑わせろ、人間はそのために生きている。
他人を悲しませるな、途中で他人を悲しませても、最後は笑わせろ。
長い長いフリだと思え、他人を絶望させるな、希望を与えろ。
可能性は無限だ、可能性を否定する奴はどうでもいい、可能性を信じろ。
人生を楽しめ、苦しめ、もがけ、泥臭く生きろ。
安定するな、不安定であれ。
安住するな、冒険しろ。
他人を否定するな、自分を肯定しろ。
自分を否定するな、世界を肯定しろ。
すべてを受け入れろ、変化に適合しろ、変化に溶け込むな、
他人色に染まるな、自分色に染めろ。
諦めるな、もがけ。死ぬまで。

 

Why join the navy if you can be a pirate?

-どうして海賊になれるのに、海軍に入るのだろうか。-

-SteveJobs

 

人間は常に矛盾を抱える生き物です。
だからこそ葛藤し、日々思い悩み、苦しみ、もがきます。
私も退職を決めてから気持ちが揺れなかった日は1日もありません。
不安で眠れないこともありました。
今日も何度決断を後悔しそうになったか。
あんなに素晴らしい環境で、僕を優しく迎え入れてくれた上司、先輩、そして同期。
こんなにいい人たちに、これから自分が出会うことができるのだろうか。
そのような人たちを結果として会社員としての期待を裏切ってしまった私の至らなさ、
すべてを自分の中で肯定することなんてできません。
それでも、それでも決めた道です。
これからは決して安定した道ではないはず。
今日ですら私は軽くジャブを入れられ参りそうになりました。
それでも、人は生きていかねばなりません。
決してかっこいいものではなく、不器用でダサく、バカな野郎でしかないのですが。

電通や博報堂の退職エントリでいうと有名なのはブロガーの「はあちゅう」、プロレスラーの「三富さん」、partyの「中村」さん、街角のクリエイティブの「西島」さん、などが挙げられますでしょうか。

私は電通ではなくその子会社ですし、上記の方々のように数多くの実績を上げてやめたわけでもないですから、このエントリには彼らのような反響が来るはずは決してないでしょう。
彼らのようにプロフェッショナルとして一つの分野でなにかを極めて成功する気配も今の所ないですし、(共通点がなに一つないので、そもそも上記に挙げなくてよかったのですが。)

もし今後、私がなにかしらの分野で名を上げて、この退職エントリに検索流入が増えたりした場合のことを考えて、「まるまる」の「まるまる」みたいなフレーズでいい感じの検索をしやすくできればいいなと思ってます。

というわけで、私は半年で広告会社を辞めて、作家になります。
映像も音楽も小説も全部含めて作家です。
メディアアートも作家です。
ビジネスも作品の一つなので、起業しても作家です。

以上、作家の及川が書きました、退職エントリです。


The following two tabs change content below.

crelife

北海道生まれの25歳住所不定無職。慶應義塾大学卒業。元広告会社社員。入社7ヶ月で退社。田舎フリーランス養成講座(いなフリ)12期生/ジーズアカデミーdev9期生/太田プロダクションエンタテイメント学院6期生(芸人養成所)/元ガールズバー店員/23歳までに芥川賞取る計画が失敗し就職するも無職へ/社会を新しく築くために生きることを決める。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です